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2011年8月28日 (日)

バリダンスに思う

 この夏に、家族でバリに行ってきました。

 バリはサーフィンの聖地としても名高いらしいのですが、僕たちが行ったのは山の麓のウブドという街。土着文化が色濃く残り、歴史的な遺跡なども多い田園地帯でした。街はずれには欧米式のリゾートホテルがたくさん建てられていて、メインストリートには外国人観光客がたくさん歩いています。一方で、「ここは九州か?」というようなどこまでも田んぼの続く日本人には見慣れた(ような)風景もそこかしこに残っています。

 ウブド観光で有名なものは舞踊です。もともとは村の祭礼や儀礼のための神聖な奉納舞踊が芸能として分化・発展してきた踊りを、観光地では楽しむことができます。今回、そのうちの二種類を観たのですが、これが頗(すこぶ)る印象的でした。

 バロン・ダンスは演劇の要素が濃く、一部の幕ではセリフまであります。集会所のような屋根のある劇場風の建物で、ガムランという鉄琴風の民族楽器と、打ち木、打ち鐘といった大小の打楽器からなる20人ぐらいの男性が、舞台の左右に分かれて演奏を続ける中、中央の舞台でダンスを踊ります。この演奏が何ともいえず独特。チンチンチラチラ、ぐわんらぐわんら、というような感じの音が、いつまでも耳と腹に鳴り響くように主旋律が繰り返され、聴いてる最中から一種のトランス状態になります。踊りはあでやかな衣装に派手な振り付け。中国なら京劇、日本なら歌舞伎に通じるものがあります。

 一方、その翌日に堪能したケチャという踊りは、バロンとは対照的に土着の匂いが色濃く残っていて男性的な芸能でした。男性数十人と女性数人の踊り子で行われますが、楽器はほとんど使われません。寺院の境内で中央に松明を焚いて、その周りを男たちが丸く取り囲み「ケチャ、ケチャ」と口々に声を上げることでうねるようなリズムと旋律を作り上げていきます。僕はビートルズの「ハロー・グッバイ」の終盤(こちらのYouTubeでは3分過ぎぐらい)で「ンチャ、ンチャ」という合いの手が入るのを思い出しました。どこか現代のポップスにも通じる、音楽のルーツなんでしょうか。

 好対照のダンスを二つ観賞したのですが、共通していたのが「物語に、はっきりとした終わりがなく、決着がつかない」ということでした。「悪い家来が王様の治世を乱す」というストーリーにも関わらず、「家来を王様が倒して平和を取り戻す」のでもなければ、かといって「王様は倒されてしまって悲劇が始まってしまう」というのでもないのです。「王様と家来が対決して、国は大変なことになってしまう」で終わるのです。

 パンフレットによれば、これは「常にものごとには二面性があり、どんな人間も善と悪の二面を持つ」というバリの価値観を表現しているのだとか。悪い家来によって引き起こされた事件で、王様の良い面(平和を保とうとする心)だけでなく、悪い面(殺戮を伴う争いへと向かう心)もまた現れる。そういう時、人々は尋常でいられなくなる。高揚と混沌を経て新しい何かが生まれる。世の中や、人生はそういうことの繰り返し――そういう価値観の表現なんだそうです。

 決着をぽーんと中空に投げ捨ててしまったようなエンディングに、あっけにとられるとともに、身の回りの人生模様と見比べても腑に落ちるような何とも不思議な感覚が沸き起こってきました。「ああ、そうか。いちいち結論めいたことを出して決着をつけなくても人生は進んでいくんや」という安心感、安堵みたいなものすら覚えました。

 ストーリーの中心に絶対無二のヒーロー(もしくはヒロイン)を置く、欧米式の単純明快な勧善懲悪のストーリーに慣れ切ってしまってたんでしょうか。そう言えばバリで信仰されているヒンドゥー教は多神教ですしね。何らかの影響があるのかもしれません。と同時に、八百万の神を奉りつつも結婚式は教会で、お葬式は仏教でというどこかの国の人間としては、たいへん共感を持って観ることができました。

 皆さんもバリに行くことがあれば、ぜひダンスショーを楽しんでみてください。

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