映画『トゥルー・グリット』
3/11の地震以来、きちんとウェアを着てそこそこのペースで自転車に乗ったのは今日が初めてです。毎年、この時期は昼間から夕方に掛けて乗ります。桜並木が車道に覆いかぶさるようにして作ってくれる花のトンネルを潜るのが楽しみなので。
やがて、桜の便りは北の国にも届くでしょう。
淡いピンクの花びらが、ひとひらでも多く彼の地の人たちの目を楽しませ、心を癒してくれますように。
さて、映画『トゥルー・グリット』を観てから半月ほど経つのですが、この映画を観終わってすぐに感じたことが、何故か頭からずっと離れずにいます。
それは――、
人は、人生を進める中で次々に何かを失っていく存在なのではないか。
何かを失うことと引き換えに、何を得るかで人生の価値は決まるのではないか。
ということです。
父の仇打ちを願う少女とそれに協力する保安官とテキサス・レンジャーの二人。全編を通じて荒くれ者、ならず者がわんさかと登場する西部劇ど真ん中のストーリー(それもそのはず、本作は1969年のアカデミー賞主演男優賞受賞作『勇気ある追跡』ジョン・ウェイン主演のリメイク版)。挫折と危機の連続を、それを一つ一つ乗り越えていく不屈の勇気(トゥルー・グリット)を、監督のコーエン兄弟が見事に描き切ってみせてくれます。
ただ、その乗り越え方というのが、何とも切なくて儚い。
バキューンと一発、目にも止まらぬ早打ちで危機一髪のところで少女のピンチを救ったり。その結果、二人は恋に落ちたり。保安官が名誉と栄光を取り戻したり。なんて華やかな展開は、この映画ではいっさい観られません。
父を亡くした少女は、タフな交渉術で馬と金を取り戻し、保安官を雇いリベンジへの旅へと向かうのですが、途中で何人もの命が失われます。時に見知らぬ死体と向き合い、時に成り行き上いたしかたなく、時に決闘のような形で。主人公たちも撃ち、撃たれ、仲間割れをして、心身ともにどんどん傷んでいくのです。最後には必死になって取り戻した父の形見ともいえる馬さえも失わざるを得なくなります。
この辺が、非常に厳しくって切ない。
人生そんな甘いもんじゃないよ。ハッピーエンドだけを都合よく恵んでくれる神様は、この世の中にはいませんよ。荒れ狂う大河を溺れそうになりながらたった一人で渡りきっても、殺人犯を相手に震える指で引き金を引いて復讐の弾丸(ブリッド)を撃ち込むことができても、それを祝うように空に満天の星が降るように輝いていても。ご褒美だけをくれるような都合のいい神様はいない。
少女の復讐を他の何かに置き換えてもいいのかもしれません。仕事も恋愛も、子育ても、受験勉強も、スポーツも。頑張った人にはハッピーな結末が待っている。努力はきっと報われる。もちろん、人生にそういう法則はあります。けれど同時に僕たちの人生の旅路にはいつでも理不尽な出来事がガラガラヘビのように鎌首を持ち上げて待ち伏せしているんです。
コーエン兄弟の言いたかったことはそういうことじゃないだろうか。
桜は今年も美しかったです。
自分ではどうにもならない自然の怖さを思い知らされたからこそ、今年はいつも以上に、美しいものを美しいと感じられるのかもしれません。
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