思い出のマイケル・ジャクソン
高校生の頃からマイケル・ジャクソンが好きだった。
なのに、そのマイケルが死んだというのに、もう一つぴんと来ない。
巷間よく言われているような「彼が死んだなんて信じられない。今も生きているような気がする。ウソであって欲しい」というような感覚とはちと違う。「死んだといわれても特に感慨が沸かない」というのが正直なところなのだ。
なぜなんだろう。
かつての自分にとってのアイドルを、こんな風に書くのはあまり気が進むことではないのだけれど、僕にとってマイケルはすでに『思い出の中に生きている』存在になってしまっていたから、だろうなあ、きっと。
僕がマイケルの思い出を語るとすれば、児童虐待(判決は無罪)だとか、整形手術、肌の色をどうした云々のゴシップは、思い出として数えるに値しない出来事。僕にとってのマイケルは、そんなゲーノーカイの風変わりな異聞の主人公ではなくって、もっと身近でウキウキする出来事の登場人物。「バイクのコマーシャルに出てくる、最近アメリカで流行ってるという若くてめちゃくちゃ格好いい黒人ミュージシャン」。それ以上でもなく、それ以下でもなくって、彼に対する僕たちの期待と、彼が僕たちに見せてくれるパフォーマンスがきちんと一致していた頃のマイケル。
高校生の頃、僕たちバスケット部の隣ではいつも体操部が練習をしていた。最初はドキドキしながら盗み見たりもしていたのだけれど、やがて自分たちの練習もハードになり、見飽きた見慣れたりもしたりして、彼女たちの肢体にいちいちトキメいたりはしなくなった。ところが僕らには彼女たちから届けられるドキドキがまだ一つだけ残っていた。それは音楽だった。マット運動のBGMとして選ばれた、15歳の僕たちがそれまで聴いたことのないような格好いいダンス・チューン。それが、僕とマイケルとの出会いだった。
アルバム『オフ・ザ・ウォール』から「ロック・ウィズ・ユー」「今夜はドント・ストップ」などの曲が繰り返し体育館に響いていた。媒体はカセットテープ。ラジカセ再生。音はモノラル。今から思えば何て拙い環境だろう。
でも、気の合う仲間たちとバスケットの練習をしながら、ようやく言葉を交わせるようになった女子体操部員たちと隣りあわせ。そんな空間に、あのリズム、ビート、伸びやかな声が響いていたんだよなあ、と当時のことを懐かしく思い出す。
そして、今さらながら想う。
それって、やっぱりすごく贅沢な体験だったんじゃないのかな、と。
その後のマイケルの快進撃は皆さんご存知の通り。モータウン25周年ライブでのビリー・ジーンのダンス・パフォーマンスは今観ても最高だ。『スリラー』のプロモーション・ビデオは80年代のMTV文化の中にあっての金字塔に違いない。1億枚も売れたアルバムはあのビートルズにだってない(よね?)。
でも、僕にとっての、あの頃の僕らにとってのマイケルは、やっぱり「ドント・ストップ」のマイケルなのだ。どうにも止まらない。若さと才能と未来が、ぜーんぶ輝いていた頃のマイケルなのだ。何といっても、聴いている側の僕たちだって、自分自身のことをそんな風に感じていたのだから。
『スリラー』以降、僕の人生とマイケルのパフォーマンスは交差することがなかった。それはとても残念なことだ。マイケルが亡くなったこと自体に対する悲しみよりも、『スリラー』から後に、僕の人生にマイケルとの思い出がほとんど存在しないことのほうが、僕は悲しい。マイケルほど成功はしなかったけれど、僕たちはそこそこ人生をエンジョイしている。なのになぜ、マイケルは再び僕たちの前に現れてはくれなかったんだろう。なぜ、今の僕たちを優しく包む歌声を聴かせてはくれなかったんだろう。心弾むステップで魅了してくれなかったんだろう。
その答えは、あの頃の歌声にはたぶん見つからない。
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