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2009年5月10日 (日)

手を抜け、気を抜くな

 芝生の緑が目に鮮やかな季節がやってきました。うちの芝生たちも、ようやく、青みを増してきました。これからが芝生の季節です。

Hi380177 いまのマンションに引っ越してきて11年。うちは一階なのでベランダではなく小さな庭が付いていて、芝生が一面に植わっています。一部張り替えた部分はあるものの、その芝生は棲み始めた当初から生えているものが大部分。こうなってくると、芝生だけでなく雑草のほうもしっかりと根を広げていて、頻繁に草抜きをするものの根絶やしにするのは難しい。元々、雑草という存在自体が、どこからともなく飛んできて勝手に芽を出して根を生やしてどんどん横へと広がって増えてゆく類の植物なので、ある植生を10年もそのまま育てているんですから、雑草は『当然そこにあって然るべきもの』『ないと不自然なもの』なんですね。自然の原っぱは雑草だらけですから。

 となりゃあ、まったく雑草を無くしてしまうのは難しい。はっきり言ってそれは無理ってもんです。芝生に対して目立たないように草を抜く、ほかない。「雑草を無くすんだ」「ゼロにするんだ」とかいう絶対的な目標ではなくって、「芝生に比べて目立たなければいいだろう」「芝生が綺麗に見えるぐらいに抜けばいいだろう」とかいう相対的な目標になるんですね。というか、そういう目標じゃないと、とてもじゃないけどやる気がしないんです。ある意味、挫折です。諦めです。

 でも――、

 ぜんぶ諦めちゃいけないんですね。

 必要最低限の仕事だけはきっちりこなさないといけない。それをサボっちゃうと、芝生が台無しになっちゃう。芝生の生えた手入れされた『庭』ではなくって、雑草の生い茂った手入れされていないお庭、ただの『原っぱ』になっちゃう。

 ある程度は手を抜いても良いけれども、原っぱにならない程度には気をつけていなくちゃいけない。そのぐらいの気の持ち方で育てるとちょうど良いんじゃないでしょうか。

 少なくとも、僕はそれぐらいの感じで、ここ数年、うちの芝生と付き合っています。一週間に一度程度なのですが、春(3月)から夏(8月)に掛けての時期には朝起きたら庭に出て芝生の雑草を抜くことが多いです。短いときでほんの数分、休みのときなどは午前中ずっとやってることもあるぐらい。単純な作業の繰り返しで、手先を使って、しかも朝の澄んだ空気を吸いながら、というのは寝ぼけた体を起こすアイドリング作業としてもなかなか良い方法なんじゃないかなあ。特に春先と梅雨時が、あなたの芝生を『原っぱ』と『庭』に分ける勝負時です。この時期さえ入念に草抜きをすれば、あとはテキトーに、気分しだいにやってもいいような…(気がします)。

 ちょうど今ぐらいの季節から、芝生の青みが濃くなってどんどん芝生らしくなってくるのと、「ああ、草抜いてて良かったなあ」と思うんですよね。草抜きと、生えそろった芝生の緑の因果関係を身をもって経験するまでは、なかなか草抜きなんて小まめにやってみようとは思わなかったんですが、ひとたび経験するとそれまでは「つまんないなあ。面倒だなあ」と思ってた単純作業に対しても、俄然、モチベーションが沸くのですから不思議なものです。

 芝生の手入れには肥料やりと刈り込みも大事ですけど、一番、『気』を使うのは、やっぱり草抜きなんじゃないのかなあ。

(※写真は、現在の一番の強敵。どなたかこの雑草の名前を知ってる方がいらっしゃったらご連絡ください。)

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