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2009年5月24日 (日)

Iさんのこと

 最近の若者は自分のことを認めてほしくって仕方がない、のだそうだ。

 でも、僕だって認めて欲しいのである。無視されたくはないのである。無視とまではいかなくっても、「あなたがそこにいることはちゃんと分かってますよ」とか、「あなたには他の人にはない魅力がありますよ」とか、まあ、何でもいいのだが、ようするに「ああ、この人は、俺のことをちゃーんと見てくれてるんだ」というような存在がいるだけで、ものすごーく嬉しい。それは僕がとりわけセルフィッシュな人間だからではなくって、誰だってそういう気持ちは持っているに違いない。皆さんだって、そうでしょ?

 じゃあなぜ、最近、よく「最近の若者は自分のことを認めてほしくって仕方がない」なんて声を聞くのだろう。「まったくもう、最近の若者は…」という、伝統的な『年寄りの僻み』なのだろうか。

 いや、違うだろう。

 実際、最近の若い人たちは「ちょっと認めてあげないと、諦めたり、拗ねたり、逆ギレしたりする」という傾向が、旧世代の人たちに比べると顕著なように感じるのだ。それは必ずしも僻み根性や、手柄欲しさから来る愚痴のような他人を批判するとは限らない。時には自己嫌悪となって自信を失ってしまうような場合も見られるような気がする。

 だからといって、若者ばかりを責めてもいいものだろうか。

 ここで、ちょっと昔話を。

 新入社員の頃に、恐れ多くも全国ネットのテレビ番組のプロデューサIさんに企画書を送ったことがある。もちろん、当時の僕は、まったくもって畑違いの仕事をしていたから一緒に仕事をしたことはなかったし、企画書の書き方だって全然知らなかった。ただ、ちょっと思いついたことがあって、それなりに一生懸命にまとめて送ってみたのだ。

 すると、返事が来た。ボツだった。びっくりした。びっくりした理由は、企画そのものとは関係がない。ボツの企画書に返事が来た、そのことにびっくりしたのだ。

 企画書がプロデューサの元に山ほど集まってくると言うのは聞いたことがある。実際に集まってきた企画書の束を見せてもらったこともある。採用の企画書には、当然、ゴーサインを出すために返事を書いたり、連絡はするに違いない。でも、ボツにした企画書にいちいち返事を書いてたんでは、体が幾つあっても足りないではないか。

 にも関わらず、Iさんは返事をくれた。そこにはボツになった理由が、丁寧に書かれていた。電子メールどころか、ワープロだって年配の人には行き渡ってない時代の話だから、すべて手書きの手紙だった。独特の力感に溢れた筆致で、企画がボツになったことを詫び、業界のルールを教え、これにメゲることなくまた企画書を書くように励ましてくれる言葉が並んでいた。

 僕はその手紙をまだ持っている。すごく嬉しかったから。右も左も分からない若造なのに、きちんと評価の対象にしてくれたことが。評価は良くなかったけれども、扱いは公平だったことが。とにかく嬉しかったのだ。

 話を元に戻そう。

 僕たち、今のおじさんは、今の若者を公平に扱ってるだろうか。「あいつらすぐに認めて欲しいなんて言うんだよな」という前に、「半人前であっても、あいつらだって公平に扱ってやらなくっちゃな」と思いやっているだろうか。いちいち理由や背景、道理を説明するの面倒くさいなあ、ってなってやしないだろうか。

 Iさんにご面倒をお掛けしたのは、たった一度きりだ。でも、そのお陰で、認められないからといって、諦めたり、文句を言ったりすることなく、自分のアイデアを開陳して企画書に書き示すことができるようになったんだと僕は信じている。

 Iさんのような大人になりたいなあと、思っている。

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『でも、僕だって認めて欲しいのである。無視されたくはないのである。無視とまではいかなくっても、「あなたがそこにいることはちゃんと分かってますよ」とか、「あなたには他の人にはない魅力がありますよ」とか、まあ、何でもいいのだが、ようするに「ああ、この人は、俺のことをちゃーんと見てくれてるんだ」』・・・

私も、そういうのって、大事だと思います。

投稿: saya | 2009年5月26日 (火) 00:52

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