新ルール
バレンタイン・デーが近い。
と、街は色めき立ちます。恋人同士がソワソワと。まあ、そういう心情自体はけっして悪いものではありません。僕にだってかつてはそういう経験をしたことだってあるんですから(まあ、いちおうね)。
ただ最近は、「何だそれ?」って感じる新しい慣わし、いわば『新ルール』が増えてきて何だかちょっと食傷気味なのです。僕が偏屈なのかせいもしれませんし、わくわくドキドキするような相手がいない僻みなのかもしれませんけれど、それにしても「おいおい、ちょっとそれは、あまりにも露骨すぎて風情がなさすぎやしないかい」という『新ルール』が多いのです。『義理チョコ』だとか『友チョコ』だとか。
今年、僕が始めて耳にした言葉が『逆チョコ』。
「(日本では)ふつうは女性が男性に愛の告白とともにチョコレートを贈るのだが、これとは『逆に』男性から女性にチョコを贈ること」を「逆チョコ」というのだそうです。このネーミング自体はいいと思うんです。分かりやすいですし、「そりゃあ、女性だってチョコレート欲しいだろうなあ」というのは理解できますからね。
いや、でもねえ。
これだけ定型化されると義理人情の世界ではなくって、質面倒くさい冠婚葬祭の虚礼と同じじゃないですかねえ。
女性が男性に愛の告白をすること自体がものすごく勇気のいることだったころ、「それでもやはり意中の人に思いを伝えたい」と思う女性たちに、何かきっかけを作ってあげて、それでチョコレートが売れるなら…そういう目論見だったんじゃないかなあ。チョコレートのプロモーションとして、この慣習が始まった当初は。
30年も前のバレンタイン・チョコレートの味には、「よくぞ打ち明けておくんなすった」というような、ほろっとする甘さがあったように思うんですよ。その「よくぞ」の部分にこそ、味わいというか、意味があったような気がするんです。受けとるほうには「どこかで誰かが自分のことを認めていてくれた」ということの発見がありがたかったし、贈るほうには「何としても伝えたい」という気持ちがあっただろうし。一つももらえずに悔しかったのは「魅力を認めてくれる異性が、自分にだって一人ぐらいは存在していて欲しい」という気持ちからだろうし。そう考えると、当時のバレンタインは「数ある異性の中で意中の人が存在する幸せ」を噛みしめる日だったんだと思うんです。まさに恋愛の縮図ですよね。
それがどういう訳か、お返しだとか、義理だとか、「あたしもチョコレート食べたい」だとかになってきちゃった訳で。それって礼儀作法や人間関係や、損得勘定とか、食欲の追求とかに摩り替わってますよねえ。
なんか、やっぱりリクツっぽいのかなあ。僻みっぽいのかなあ。
という訳で、僕としてはバレンタインズ・デイって「愛を込めて食べるものを贈る日」だと決めて、今年からは2月14日に合わせて国連世界食糧計画(WFP)に募金してみることにしました。一回の募金は1,000円から受け付けているようですので、この意見に賛同していただける方は、是非、このプログラムに参加してみませんか。
かつてバレンタイン・デーに僕に想いを伝えてくれた女性は、残念ながらそう多くはないのですけれど、その想いを受けとった時の嬉しさを忘れないためにも、出来るだけ長く続けてゆきたいと思う僕なりの『新ルール』です。
コネタマ参加中: バレンタイン、チョコはこうあげたい!もらいたい!
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コメント
バレンタインデーにホンキで愛を打ち明けたと言えたのは…小学校2年生のときでした。以上、終わり。
それ以外のバレンタインはもはや邪道でしたです。ああ、純粋だったなあ、しょうがっこうのとき。
投稿: シーラカンス | 2009年2月10日 (火) 20:55
>それ以外のバレンタインはもはや邪道でしたです。
ある意味、正直なんですけどね。逆チョコって。
いっそ「チョコの日」にしたほうが良くないかなあ。
投稿: コイッチ | 2009年2月13日 (金) 23:41