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2007年3月22日 (木)

隣は何をする人ぞ

同じ会社でも隣の職場では何やってるんだか全然知らない・・・ことに驚愕、というエントリーより。

シーラカンス日記:きょうはオシゴト
きょう現場の人と話していてわかったのは、
そういうシンドい日々を
ウチのセクションの男性陣が過ごしていた、
なーーーーんてことは、
「誰も知らない」という事実でした…orz

僕も自分のことに精一杯で人のことは言えた義理ではありませんが。

僕が会社に入った頃の職場は大阪の近郊にあって、一部のセクションを除いて社屋が2階建てでした。広いけれども低い。そんな社屋で仕事をしていました。

そういう建物の中で仕事をしていると、どのセクションの人たちともよくすれ違いました。挨拶はするんだけど何の仕事をしてる人だか全然知らなかったり、逆に話したことはなくてもどんな仕事をしているのか知っている人もいました。判りやすく言えば、人間観察には持って来いの職場、環境でした。

今のビルは地上十数階、地下にも何フロアか。縦長です。エレベータなしでは職場にも行けません。そんな環境になってから無駄なコミュニケーションや、無駄な人間観察の機会が失われました。正しくは一見無駄に見えるようなコミュニケーションとか、一見無駄に見えるような人間観察とかが失われた、でしょうか。

人のフリを見て人間は学びます。人と話すことで自分の考えかたを成長させます。直接の仕事の機会でももちろんそうでしょうが、自分とは特に関係のない人様の仕事振り、話し振りを間接的に学ぶ機会というのもとても大事なことだったような気がします。

自分とは直接関係のない人たちの顔色や雰囲気や声の大きさや態度のでかさを「知っている」。そういう文字や写真になりにくい情報を読み取って、人を見る目を養ったりもする。今考えるとそれはとても大きな財産であり力だったんじゃないかな。

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コメント

トラックバックありがとうございます。

いやーホント、かつての社屋は内線電話で話していても当の本人のデカい声が遠くの戸棚の向こうから聞こえてきたりして、楽しかったです。そういう意味で「アナログなコミュニケーション」にあふれた世界でありました…懐かしい。そうなんですよ、会社ってタテに長いよりも、ヨコに長いほうがぜったいにいいです。居心地もいいし各種影響が大きかったように思います。そして、人の顔を見て話すことが多ければ多いほど、それが何らかの形、何らかの企画につながっていくんじゃないか、って思いました。今はタテに長いだけじゃなくて建物までバラバラですからね~…

投稿: シーラカンス | 2007年3月23日 (金) 08:08

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