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2006年6月29日 (木)

中田英寿の涙する姿

びっくりしました。

人前で泣く姿を見せるような人ではないと思っていたので。

もう随分と前の話になってしまったような気もしますが、まだほんの一週間前の話です。

日本代表のワールドカップ一次リーグ敗退が決まった瞬間、彼はピッチに仰向けに寝転がり、タオルでその表情を隠しながらも、その泣き咽ぶ姿を何分も観客の前に晒したままでした。

そしてテレビはそれを何度も何度も映すのです。

でも、何故泣いたのか、どういう心境で泣いたのか、それを正確に知っているテレビクルーはその時点ではいないはずです。「試合に負けたから泣いてる」そんな単純な涙ではないことは、人前で悔し涙を見せることをよしとしない美学の持ち主であろうことは、彼に一度たりとも取材をしたことがなくてもわかるだろうに。

なんて、無粋な連中なんだろう。
なんで、そっと泣かせてやれないんだろう。

「泣いてたように見えましたが」
「そうですか」

試合後のインタビューのこのやり取り自体は悪くないと思う。質問もそれ以上くだらない突っ込みはなかったし、彼らしいニュアンスの返答だったと思う。でも、そのインタビューの説明として、顔をゆがめて悔し泣きする彼のアップは必要なんだろうか。スポーツ紙の紙面やテレビ画面いっぱいに見て僕たちに何のメッセージが伝わるというのだろう。

本当にその絵は必要だったのだろうか。

生中継の場合は必要だと思います。現にそこで起きているんですから、カメラは伝える義務があるし価値もあります。スタンドに居れば声援を送って励ますこともできるだろうし、テレビ画面を見て一緒に涙することも出来る。それがライブの感動です。作った感動ではなく、生の、等身大の、自然に沸き起こる心の動きなんだから。

でもリプレイには必要だろうか。

あの涙の意味を、裏に潜んだ心情を確かめずにただ映像のリプレイと薄っぺらなコメントだけでカンドー物語が出来上がるのだろうか。ライブでなくあの映像のリプレイを見た人が一緒に泣くだろうか。「泣く必要はないよ。君のプレーには感謝してる」そんな風に彼に声援を送ろうとするだろうか。そういう人もいるには居るだろう。でも、こう思った人もいっぱいいただろう。「へえ、泣いたんだ、あの中田が」。

そう、ニュースの意味が変わってしまってる。

絶対に泣きそうにない選手が悔し泣きをした。その時の様子はほらこんな感じ。珍しい映像だろ。

そんなバリューになっちゃってたのが悔しくてやりきれない。

あの涙の意味と、それを僕たちがどう受け止めるのが日本のサッカーに対して、選手に対して、そして中田英寿本人に対して正しいのだろう。あるいは意味があるのだろう。あるいは今後に繋がるのだろう。そういうメッセージもなく、野次馬的な目線での編集、コメント。そういうのが嫌です。こういう伝え方を見るとテレビ局で働いているのが嫌になります。

生中継の映像で、彼がタオルで顔を覆っているのを見た時ですら「見てはいけない。見ちゃ可哀想だ」と反射的に思ったんですよ。見せたくって泣いてるわけじゃないんですから。

せめてリプレイであの映像を拾う時は、何らかの武士の情けを掛けてやれんかったのか、と思うのです。

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